LOGIN「そんなこと急に言われても、はいそうですかって信じられないわ。 いくら何でも夫があなたとの子供を迂闊に作るなんて」 そこまで夫の頭のネジが緩んでるって思いたくない。 子供なんてできちゃったら、それこそ……それこそが、浮気のれっきとした動かしようのない証拠になるのよ? そんな事夫がするはず……ない……と思いたかった。 私はこの時かなり狼狽してしまったようで、後で考えるとどうしてあんなことを口走ってしまったのだろうというようなことを彼女に言ってしまったのだった。「ね、どうして私にそんなこと話すの? まずは夫に話すべきよね? 一体全体何考えてるの? 人の心を弄んで何がそんなに面白いの? 」「わっかりましたぁ~。 じゃっ、オーナーに言います。 きっとオーナー、子供のために私と結婚するって言うんじゃないかなぁ。 ……だと奥さんが気の毒だと思って奥さんへ先にお話持ってきたのに、奥さんったら私のこと悪く悪くとっちゃうんだものぉ、参るわぁ……ふふん~」 やっぱりね、妻というものは夫が外で子供を作るっていうのは、相当ダメージを受けるものなんだと目の前のオーナーの妻の様子を目の当たりにして仲間は強く実感した。 予想外にうろたえている果歩の姿を見て溜飲を下げつつある仲間は、もっと苛めたくなり、予定していなかった次の台詞を紡ぎ出した。 何だかあんな女垂らし野郎のことを、どこかで信じてる風なアイツの妻にすごく腹が立ったのだ。「えぇ、面白いですよ。 私を好きになってしまった旦那さんにずっと縋り付いてて哀れなもんよ! プライドってもんがない人間見てると虫唾が走るんです、私。 他の女を好きになって子作りまでしちゃった旦那と元サヤに納まって幸せごっこしてそれでほんとに幸せって言えるんですか? 旦那の嘘にまんまと乗せられて……あっ、違いました? ほんとは信じてないけど信じてる振りをして、きれいに元サヤに戻りたいのかしら? どっちにしても私、奥さん見てるとムカムカするんですよね」
遊ぶ相手なぞ、すぐに見付かるさ。 無意識に康文はそんな考えを持っていた。 なのであまり仲間に執着することもなかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ 仲間の様子から見て、あまり良い話でないことだけは確かだ。 はて? 私に聞いてほしいという話とは一体どんな話なのだろう。 夫と別れてほしいとか? そして離婚してくれだとか? いろいろ想像逞しくしていた私に放った彼女の言葉は私の想像を遥かに超えていた。 ◇ ◇ ◇ ◇ 「どうしよう……あたし」 「……」 何さ、勿体つけて。 早く話なさいよ、私は元々あなたの話を聞きたくて ここへ来たわけじゃなし、勿体ぶんじゃないわよ。 こっちは暇じゃないのよ? イライラしちゃう!! もじもじして悩む振りをしている仲間は次の言葉を放った。「あたしぃ~、妊娠したみたいなんですぅ。 生理不順だから気付くのが遅れてしまってぇ~。 実は私、近々婚約者との挙式を控えているので早くどうにかしないと。 万が一彼にバレたら、私お終いだわぁ」 メソメソした風を装いながらチラチラと私を見つつ絶望感漂わせて話す女。 ひっ、なにぃ~、何言ってるのこの子。 げっ……妊娠ってニンシンって今言いました?「病院へはひとりで行きますから、同意書にサインしてくれませんか? それに私お金がないので費用のほうもできればお願いしたいんです」「ちょっ……ちょっと待って。 それって、妊娠してるって確かなの?」 「病院で1度診てもらってますから100%確実です。 婚約者とは一度も婚前交渉してないから絶対オーナーとの子です」 ◇ ◇ ◇ ◇ いや、何と私の呑気なことよ。 普通は旦那が浮気をしたら一番に気になるところだったのかもしれないというのに、私の頭には全く一度も、浮かんだことがなかったのだ。 既婚者相手に浮気できるような女は皆チキン……もとい、鶏頭をつけているに違いないと思ってきたが、私の頭も大して変わりなかったかもしれない。 おお、私の鶏頭よ、驚くことなかれ……今更だ。
「何々、本気ってさぁ。結婚して……してしてって、言うんじゃないだろうな。ヤメテっ、オレッちには妻も子もいるんだよぉ? 」 「オーナー、今言ったこと本気? 私のこと好きじゃないんだ? 」 ヤバイと思った。 完璧彼女、スイッチ入っちまってる。「好きに決まってるだろ? じゃなきゃ、あんなにたくさん愛し合ったりできないじゃん。 変な方向に本気になるなよ。 今までどおり仲良くしようぜ。 次のバイトが見つかったら、また今まで通りだから少し我慢しよう、な? 」「ごまかさないで! 」 そう言って彼女は引かなかった。 俺のやさしい説得も徒労に終わりそうな気配。 次の手はどうすべっかな。「遊びじゃないって言うんなら、私と結婚してよ。 婚約者は捨てる、私、彼を捨てる。 捨ててオーナーと一緒になる」 流石の俺も不味いと思った。 彼女がただの独身者ならまだしも、結納も済ませた婚約者のいる身だぜ。 幼友達ってんだから親同士だって、普通の関係より長い年月をかけた深い付き合いに違いない。 そんな相手を他に男ができたからって今更約束事を反故にしてみろよ。 それがどういうことを招くのかこの女は全く分かってないのだろう。 俺だって相手に訴えられる可能性が大いにある。 この店が上手くいってない上に、法外な慰謝料なんて請求された日にゃ、俺の首が回らなくなる。 何の冗談だよ。 それにだ、婚約者がいるのにホイホイ他の男と遊べる女なんかと結婚できるかよ。 遊びが好きなクセになんで結婚持ち出すんだよまったく、意味不明だぜ。 結婚相手に頭の悪い女は絶対イ・ヤ・だっ。 仲間は自分が俺の妻から慰謝料請求されるなんて……そういう対象になるってことも全然分かってないのだろう。 遊ぶには可愛くて良かったが、結婚となると話は別だ。 康文は物腰は柔らかだったが、結局店の売り上げと彼女に婚約者がいることを理由に、仕事もろとも冷たくばっさりと彼女を打ち捨てた。 仲間友紀は毎日Love Love だった相手からこうも簡単に切り捨てられるとは夢にも思ってなかったようで、帰り際、涙を一杯溜めた目で康文を睨み付けバタバタと駆けて店を出て行った。 果歩が彼らの関係を心配しなくとも、あっさりとふたりの関係は終わっていたのだ。
「ねえ、もうすぐ菅田《すだ》くん辞めちゃうでしょ?」 「あぁ。 大学の勉強が忙しくなるとか言ってたな。 けど、たぶんそういう理由じゃないわな。 ははっ。 あいつは真面目なヤツだからな、きっと俺たちのやってる ことを知っててヤ《嫌》になったんだろうよ。 俺がアイツの立場でもヤだね」 「そんなこと言ってぇ~。 そしたらまた私たち当分できないんだよ? オーナーは私と仲良しできなくてもいいの? 」「いいことなくたって、店閉めて一日中盛ってる わけにもいかないだろうよ。 しばらく我慢しれっ! 次の人材をまた捜すから」 なんてことを仲間に言いながら、いくらなんでもなぁ、もういい加減 遊びもほどほどにして、少しは仕事に身を入れないとなぁ~などと、流石に 俺もちょっと店のことが気になりだしていた。 潰してしまっては、大変なことになる。 俺の未来は閉ざされたも同然だ。 踏ん張り時としては遅いくらいだが、なんとか今まだ店は持ちこたえて るのだし、ここは一念発起頑張らないとな。 そして、なんでここで? と思ったが果歩の顔が一瞬頭の中を 過《よ》ぎった。 ホントに不思議だった。 果歩が俺と別れられるはずがないと高を括っている俺だが、 その俺こそが果歩とはどんなことがあっても別れるという選択肢を 持ってないのかもしれないな、とそんなこともふと頭に浮かび、 そんなことが浮かんだことに妙に驚いた。 な……なんでこんな時にこんな事考えてるんだ? 俺は。 俺と仲間は品出しして棚に陳列しながら話していた。 「ねっ、さっきから何考えんの? オーナーでも深刻に何かを考えることあるンだ?」「俺だってたまにはなぁ……って、大人をからかうんじゃない」「何よぉ~、私だって大人なんだからね。フン」「そだな、婚約者もいるんだもんな。 もう結婚もぼちぼちなんじゃないのか? バイトばっかしてていいのか? そろそろ準備もあるだろう?」 「何で今そんな話すんの? 私はこんなにオーナーとのこと、考えてるのにぃ。 ねっ、私ねオーナーとこれからもずっと一緒にいたい」「う~んっン……俺もぉ~」 「ちゃかさないでっ! 本気なんだから」
あれから私は一度も店に行ってないので、仲間友紀と夫の関係がどうなってるのか正直分からなかったし、もう分かりたくもなかった。 夫は別れると言ってたけれど、あれだ……やはり続いていたのか? ふたりの関係は。 そんなことを少しばかりもやもやっと考えていたら店に着いた。 軽食なんかがあって飲み物があって……みたいなどんなカテゴリに属しているのか良く分からない店だ。 やはり昔で言うところの喫茶店になるのだろうか。 揉め事を持って来たとかじゃないよねぇ、もうほんと勘弁してほしいんだから、やめてよね。 椅子に座りながら私はそんなことを思った。 ─そんな果歩をよそに、バッチリメイクでミニスカにブーツ、ジャケットには兎の耳がついたフードとお尻付近に兎の尻尾が付いている可愛いぶりっ子ファッションで、果歩に会いに来た仲間が挑戦的な目で果歩を見ていた─ ◇ ◇ ◇ ◇ 果歩が青白い顔をして俺に仲間と別れてくれと言い俺もそれに対して別れると答えた。 そんな風に答えたけれど自分の中では本当に別れるところまで考えて妻にそう約束したわけではなく、所詮その場凌ぎの言い訳だった。 失くすもののない俺にとって果歩ひとりくらい、やいのやいのほざいてても、軽ぅ~くいなせると思ってたしな。 なんだかんだ言ったって子供がいなけりゃぁまた事情も違っただろうけど、子供を抱えた果歩が浮気ぐらいで俺と別れるとは考えにくかったし。 切るのはいつだってできるっていうのもあって折角楽しくやれる相棒《仲間》がいるのに、別れるにしても今じゃないって俺は心ではそう考えてた。 だけど妻の果歩に仲間と別れてほしいと言われてからほどなくして仲間がとんでもないことを言い出した。
息を吐くように簡単に嘘を重ねることができて…… 浮気のハードルが極端に低くなっている…… 夫が言ってきた女とは別れるという言葉の何と軽いことか。 だが、口にした手前また以前と同じように家に帰って来るようには なった。 反省の色も……そして言葉もなかったけれど。 夫のいる景色は霞んで見える。 夫? この|男《こいつ》が私の人生のパートナー? ンなわけないよね? だけど夫なの? この人、誰なんだろう? 私にとって誰ナンだろう? 夫といるとイライラしてしまう。 それなりの会話はするけれど、以前のような親密さは 持てるはずもなく、息苦しささえ感じてしまう。 こんなあからさまに嫌悪感の混じった感情を持つことは 初めてかもしれない。 不安や悲しみだったり、悔しさだったり、怒りだったり そんな感情は経験していたけれど、吐き気を催すほどの嫌悪感は 初めてのことで自分でも驚いている。 だから夫の前で普通に見えるよう、取り繕うのが大変。 けれど、夫の家に帰ってくる頻度が増えてほっとしている自分がいるのも 確かで……人間ってつくづく矛盾を孕んでるものなんだなぁ~って自己分析 したりしていたある日のこと。 ◇ ◇ ◇ ◇ 自宅に仲間友紀がやって来た。「私、お店でバイトしている仲間と言います。 オーナーの奥さんでしょうか? 」「ええ、そうですが」 「大事なお話があって、それで何とかこちらの住所を 調べて尋ねてきました。 え~と、お時間いただいてもいいでしょうか? 」 「分かりました。 ここではなんですから、近くにあるお店でどうでしょう? 」 私は産休と育休中はもっぱらお家ごはんがメインなので……というか、 勤めてる時はお弁当か病院内の食堂もしくは近くの食堂で食べたりと いうことはあったけど、家の近所でほとんど外食したことがなかったので、 ちょっと焦ってしまった。 さりとて彼女をうちに上げてリビングでなんてとてもじゃないけれど…… 有り得ないし、何となく普段道すがら目にしていた店に彼女を連れて行った。







